改めてカイロプラクティックとは?

こんにちは、とやの整体院の大関です。
今日はカイロプラクティックに関するちょっと独り言を書いてみました。
興味ある人は軽く読んでくださいね。

改めてカイロプラクティックとは?

最近、改めてカイロプラクティックとは?というのをよく考える。
世の中にはいろいろな手技療法があるけれど、カイロプラクティックってホントはなんだろう?ってね。
世の中の手技をテクニック的に分けると、背骨をボキボキします、とかマッサージします、とか気の流れを良くします、とかリンパの流れを良くします、とかエネルギーの流れを良くします、とか数えたらキリがない。

そうではなくて、何のためにその手技を行うのか?というのを改めて考えてみたいと思う。いわゆる哲学というやつでしょうか?
カイロプラクティックは、哲学・科学・芸術である。という話をよく言います。
特にパーマー系であったり、ストレート系の方がよく使います。カイロプラクティックを発展させたB.Jパーマーの考えですね。ナショナル系の方は医療、理学療法に傾いてきているからあまり言わないかな。

キーワードは、イネイトインテリジェンス
人間に備わっている内なるチカラ、内なる叡智、小宇宙、なんて訳すことが出来る。

そして格言としては、Nature is no help
自然は助けを必要としない、なんて訳せます。

つまり自然の中に存在する人間を含めた生き物・生命は、自らの力で最善をつくすことが出来る。そこに外部からのチカラは必要ない。

簡単な説明だとこんな感じ?

そして、カイロプラクティックは人生そのものだ、という。

本当に理解できて実践している人と、そうでない人の見分け方はその人の姿勢にあると思う。
私を含めて深く理解できていない人は、背骨のズレが神経を圧迫して治すチカラを遮っている。だから背骨のズレを「矯正してあげれば」自分のチカラで治すことが出来る。
言っていることは、なるほど、って思える理屈なんだけど、そこに生命へのリスペクトが無いんだよね。
なんていうのかな、上から目線というか、治すチカラを引き出しているっていうか、治してやっているっていう、まだ医療的な発想がそこに含まれている気がするんです。

そうではなくて、自然の神秘というか生命の神秘というか、人間にだってそういう面が備わっているんだっていうか、人間の持っている生きる力、生命力に対して尊敬の念を持ち、その能力に対して素直になった時こそ健康を得ることが出来るという、健康は人間が科学の進歩で目指している幸せだけれども、科学で証明できないものは無いし科学で証明できたモノこそ全てという人間の傲慢さがあっては辿り着きたくても決して辿り着けない幸福なんだろうなって思う。

カイロプラクティックは、B.Jパーマーが目指してたカイロプラクティックは人間の生命に対して改めてリスペクトしよう。という事なのかもしれない。生まれた時から終わる時までの生命の自然の営みを考えるのがカイロプラクティック。

だから、人間の身体って素晴らしいんだ、人間の持っている能力って素晴らしいんだ、それに気づいて欲しいんだって一生懸命発信している人こそカイロプラクティックを実践しているといえるんじゃないかなぁ。
だからこそ、このような発信をしている人は、カイロプラクティックは人生そのものである。なんて発想になれるんだろうな。